森の秘密

 柔らかな火が躍っている。橙を帯びるのは、天井から吊るされた一角獣のたてがみに、薬草、乾いた花。
「虫みたいにごそごそと」
 うっとうしくて仕方ない。舌打ちしながら、魔女は紅茶をいれる。
「それでも、まだいいんじゃないの」
 大叔母さん。出された茶器で手をあたためる。卓を挟んで向かい合う大叔母を見る。
 赤銅色の髪は短く、眼は猫を思わせる薄い緑。ホグワーツの森番で、リアイス出身の魔女。セラの祖父の妹だ。
「腕利きの野伏のお陰で、密猟者はこそこそしてる」
 密猟者の敵対者。番人。鬱蒼とした禁断の森に寝起きする連中を狩ったのが大叔母だ。痛い目をみせて樹に吊るし嫌がらせをしたとかなんとか。
 闇の魔術に対する防衛術のダイナ・へキャット――ヘキャット先生いわく「夜闇に悲鳴がコーラスを奏でていたさ。怖いのなんの」であったらしい。ついでに「先生は容赦ないからねえ。私なんかはまだ優しい部類だよ」とも。大叔母はホグワーツで教鞭を執っていたのだ。ヘキャット先生の前任者である。
「あちこちに散らばっただけさ」
 ホグワーツに近い村落――ホグズミードやアッパーホグズフィールドはともかく、ほかは酷いものらしい。
「密猟者――ルックウッド一味とランロクは莫迦じゃない。脅しやすい、狩りやすいところを選ぶ」
 大領地ゴドリックの谷を縄張りとする一族の魔女は言った。薄緑の眼はひややかだ。
「さすがに谷や――純血の縄張りは避けてるからね」
 でなければ潰されているはずだ。リアイスや純血家門は寛容ではない。ならず者や小鬼にかける慈悲の持ち合わせはないだろう。
「小鬼が恨みをつのらせているなら、ホグワーツを狙う可能性もあるが」
 ランロクが、あるいは同盟者のルックウッドが愚かでないことを願おう。
「首が飛ぶよ」
 誰のとは大叔母は言わない。セラは黙って紅茶を飲んだ。大叔母なら小鬼とならず者たちの首刈りだってしそうである。リアイスを怒らせるとはそういうことだ。セラはリアイスじゃないけれど、感じるものはある。
「それで」
 お前の質問の答えだが。大叔母は眼を細める。
「竜を完全に操るのは無理だろう」
 お前が遭遇したそれも、暴れてたろう。
「小鬼の銀と魔法でも?」
「できて誘導だろうね」
 馬車を襲え――あるいは。
「これこれの匂いをつけているものを襲えだとか」
 簡単な指示ならできるかもしれないし、抑え込めるかもしれない。それ以上をしようとしたら、手に負えなくなるだろう。
 セラはビスケットをかじった。飲み込みながら考える。竜が馬車を襲ったのは『箱』のせいなのかもしれない。フィグ先生に託された『箱』。先生の奥さん――ミリアムが送ってきたのだというもの。封印が施され「視る」ことのできたギルによって開かれた。
『妻は研究者だった。古い、歴史に埋もれた魔法を調べていた』
 ギルが禁書の棚に侵入した翌日、セラとギルとヘクターでフィグ先生のもとを訪ねた。禁書の棚の最下層に扉があったこと、その先で本を見つけたこと。ギルは冒険を語った。
『嫌がらせみたいな守りが敷いてあって最悪でしたよ』
 せめてもうひとり味方がいれば楽だったんだけど。セラとヘクターは眼を逸らした。竜騒動からこっち、すっかり関係者ではあるが。
『適性があるのはギルだ。呼ばれているのはお前だよ』
 俺でもセラなく。
『だけどまあ、手助けくらいはできる』
 今頃、森のどこにいるやら。セラは二人に思いを馳せる。ヘクターがいれば目的地まで着くだろう。こそこそと入り込んでいる密猟者がいたとしてもちぎって投げるはず。「若いんだから手伝いな」と言われ、幼馴染のヘクターと、義兄のイライアスは森で掃除をしているのだ、たまに。お陰で森には大魔女の使い魔がいる、と密猟者たちは震えているようだ。それでも隙を窺って入り込むのが密猟者なのだけど。
――なにせ広すぎる
 魔法生物の巣を重点的に見回っているらしいが、森のすべてにまでは眼が届かない。
「あたしが言うのもなんだが、無茶はしないように」
「しないよ」
 する気もないというべきか。セラは先視で、手を貸すだけだ。冒険するのはギルやヘクターでいい。
 だけれど、嫌でもなんでも戦う時が来るのだろう、とおぼろげに思う。
 託された『箱』。ポートキー、金庫……記憶とロケット。ロケットが示したのは禁書の棚の最下層。そして森に導かれている。
 ホグワーツは魔法の徒の学び舎。砦。なにかを隠し守るのにこれほど適した場所もないだろう。そしてセラが考えつく程度のことを古の魔術を封じた誰かが、考えつかないはずがない。
 どんな道筋を描くかはまだ見えないけれど、古い記憶の真実が眠るのはホグワーツに違いない。
 そして、宝を目当てにホグワーツに手を伸ばそうとする者がいれば、セラはこう言ってやる。
 眠れる竜をくすぐるべからずと。

 ほとほとと扉が叩かれ、泥だらけ傷だらけ髪は焦げてるギルと、彼に肩を貸しているヘクターがいた。なにかあれば駆けつけるつもりだったけれど、杞憂だったようだ。森で害虫駆除してたんだ、とヘクターは言い訳し、セラは慌てて大叔母に辞去を述べた。
「どうだったのよ」
 城へ歩を進めつつ、セラは水を向ける。
「森に隠された扉があってね。蜘蛛をちぎっては投げして、見つけたんだよ」
 地図の間って呼んでるらしい。ギルは滑らかに話す。話さないとやっていられないのかもしれない。あちこちの傷が痛んでいるだろうし。
「どうも城の地下に通じてる、というか地下にある」
 セラは眼を瞑って開いた。ヘクターを横目で見る。完璧な無表情だ。祖先がつくった学び舎に、勝手にあれこれ付け足されれば機嫌も悪くなるだろう。リアイス家はホグワーツを創設したグリフィンドール、レイブンクロー、ハッフルパフの末裔なのである。
「時の校長が噛んでそうだな」
 ヘクターは嘆息する。面倒なことになってきた、と彼の眼は言っていた。
「正解だよ。ニーフ・フィッツジェラルド先生が校長で」
「理事の誰かに……リアイスに申し送りしておけよ」
 ヘクターの口端がひきつった。古代魔術の守り手たち――守護者というらしい――の独断だろう。ホグワーツを熟知しているのはリアイスだ。協力を仰げばいくらでも力を貸してくれたろうに。
 それがね、とギルは眼を泳がせる。
「リアイスは戦で忙しくてとてもじゃないけど手を組めなかったって」
「はあ? 戦……待てよグリンゴッツの最下層にそもそも最初の仕掛けで……最下層に金庫を持っているってことは」
 グリンゴッツ創設がざっと五百年前で……。ヘクターは呟く。
――覚えのありすぎる年代だ
 その頃といえば――と、セラも考えを巡らせて、うめいた。
「紫薇戦争!」
 ヘクターとセラの声が揃う。グリフィンドール系名門リアイスとスリザリン系名門ユスティヌの大戦だ。数十年続いた泥沼の戦。
「たしかに無理だな。ユスティヌの首落としたり落とされたりで忙しかったから」
 畑から野菜を引っこ抜くのに忙しかったんだくらいの軽さでヘクターは言う。
「らしいね。僕の先祖も戦に嫌気がさして英国を出たみたいだし」
「で、お前は戻ってきたと?」
「ルックウッドの一味みたいなのとやりあうことになって。潰しはしたんだけど」
 居づらくなってね。こっちに渡ってきたんだ。
「同級生を殺したやつと」
 みんな怖くて勉強できないだろうし。

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