禁書の棚

――正攻法で行かせるべきだったのかも
 トロール騒動から数日。九月半ばの深夜。図書館入口前をうろつきながら、セラはため息をこらえた。
『フィグ先生がね』
 グリンゴッツで見つけたロケットを解析したんだ。内に刻まれていたのは古代語。示された場所が、禁書の棚――の最下層。ざっと事情を聞いたセラは「少し待って」と言った。人が多いときは無理でしょう。でも、夜は見回りがある。
 私が禁書の棚の閲覧許可をもぎとる手もあるけれど、司書がついてくれば面倒なことになるし。
 だからね。監督生――私かヘクターが見回りをする時に合わせて忍び込んだらいい。
 そう提案したものの、どうなることやら。禁書の棚に忍び込み慣れているセバスチャンを抱き込んだらとも言って、ついでに透明マントも貸した。
 決行は今夜。ギルとセバスチャンは無事に図書館に入った。扉がきしんだ時、ペアの監督生――ハッフルパフの女生徒に「お菓子でも食べない」と持ちかけたのだ。退屈を持て余し、甘いものにも飢えていた彼女はすぐさま飛びついた。入口前で門番をしつつ、二人でクッキーをかじる。どうせ司書は来ないのだし、こんな見回り意味ないわよねとおしゃべりをしながら暇を潰す。
 やがて、司書がやってきた。異常はありませんと大嘘をつく。禁書の棚の最下層に生徒二人が向かってますなんて言おうものなら激怒するだろう。
 どうせ司書はすぐに帰る……と思いきや「中も見ます」と彼女は宣言した。
「ネズミ一匹いませんよ?」
 ハッフルパフの女生徒が首を傾げる。ネズミ、の言に司書は顔をしかめた。ついで首を振る。
「……偉大なる校長がおっしゃったのですよ」
 図書館の中まできちりと見回るべしと。セラと女生徒、司書は同時にため息を吐く。人を無意味に働かせるのが好きな校長。レイブンクローの生徒なんて「アズカバンに行けばいいのにあの無能」と言っていた。
「軽く……さっと、見ます?」
 女史、とセラは呼びかける。要は校長に仕事をしましたよとだけ言えればいいのだ。
「そうね、もうサロウも懲りたでしょうし」
 侵入者なんていないでしょう。ごめんなさい女史、います。二人います。言えないけれど。
 コツ、と靴を鳴らし、司書が扉を開ける。しんとした図書館。勝手に棚から飛び出してはたはたと舞う本を呼び寄せて、元の場所へ返していく。
「アンの病気、はやくよくなるといいのにね」
 女生徒がこそこそと囁く。セラは頷いた。サロウ家の双子――セバスチャンとアンはともにスリザリンの所属だった。が、一部の底意地の悪い連中と違って性格がよかった。というよりも、他寮とでも話せる子たちだった。特に双子の妹のアンは穏やかな性質で、セラも薬草学の時間によくペアを組んだものだ。
 サロウ家に異変が起こったのは約一年前。アンが『奇病』に冒され休学した。それからだ。セバスチャンが禁書の棚に忍び込むようになったのは。
『話を聞く限りでは』
 呪いだろうねと言ったのはイライアスだった。彼は夜の見回りで何度かセバスチャンを捕まえたことがある。怒る司書をなだめ、セバスチャンの首根っこをひっつかんでスリザリン寮まで連行したとか。さんざん抵抗されたと笑っていた。
――アンは戻ってこない
 時が経っても、だ。聖マンゴでもお手上げなのだろう。そしてセバスチャンは闇雲に動いている。本当に、なりふり構っていない。
『ポッター家は薬学の大家だろう』
 たとえば痛みに苦しむ患者を治す方法はないのか。とある日の授業後、すがるように言われて首を振った。私は専門家じゃない。聖マンゴに任せるべきよと。
 セバスチャンは肩を落として去っていき、壁にもたれて二人の話を聞いていたオミニスは顔をしかめていた。
『あいつが無茶をやらかさないか、心配だよ』
 たとえば闇の魔術に手を出したりだとか。
「……治るといいね」
 過去から現在に意識を戻し、女生徒に返した。治ればいい。セラにできることなんてないけれど。せいぜい、こんな手引きをするくらい。アンに手紙を書くくらい。
 じわり、と眼が熱くなる。司書が禁書の棚に足を向ける。叫びが響く。歌うようなピーブズの声。またなのセバスチャン! と司書が怒鳴る――。
「禁書の棚も見ておきますね」
「下層まで行くのじゃないのよ」
 司書の言に頷き「あんな気味の悪いところ無理」と言う女生徒に手を振って、禁書の棚に踏み込む。棚と称されているが禁書の室、あるいは区画だ。下に行けば行くほど歴史の闇に葬り去られた術が眠っている。
 階段を下りていく。どこからか声が聞こえた。
『秘密は地の底に』
 節をつけた、声。
『とぐろも』  影が輪郭を濃くする。立ち上がったのは青年の像。黒髪に――眼は何色なのか。杖明かりがちらついてわからない。
『術も』
 深いところに。
 背の高い青年――セラと同い年くらいだろうか。一人ごち、彼は棚に手を伸ばす。古い古い本を手にした。題名はかすれてわからない。
 ぱらぱらと、青年は本をめくり――やがて閉じた。
『なんだ』
 これじゃわからないな。軽く舌打ちし、青年は瞬く。思案するように瞼を伏せ、足で床を叩いた。
 やがて、くっと笑った。
『聞けばいいか』
 ■■■■■に。耳鳴りがして、名を聞き取れない。セラは顔をしかめ、眼をこらす。綺麗な顔をした青年だった。どことなく、見ていて不安になる。笑んでいるようで笑んでいない。仮面を被るのばかり上手な青年。
『彼女は僕の手の中にある』
 手がかりくらいは持っているだろう。なあ僕の愛しの黄金の君。哀れな子羊?
 ふう、と幻が解けていく。セラは息を吐いた。どれほど先の未来なのか。セラが生きている間の出来事か、それとも死んだ後なのか。先視が見通せるのは、己が生きている間の時間とされている。己の『先』を視れるかどうかは、力と神の微笑みが必要だ。
 干渉できる種類のことではない、と割り切る。首のスカーフを撫で、歩を進める。
 どうか、あの青年が在学しているときに、心ある校長や教師がいて。彼を導いてくれればいいのだけど。彼はよからぬことの源泉にも思えたから。
 魔法灯の冷たい光を浴びながら、セラは階段を下りる。下りて、下りて、飛び跳ねているピーブズを縛った。暴れれる彼を一睨みする。
「お前灰色のレディそっくりだ!」
 その冷たくて澄ましたところが! きゃあきゃあと笑う彼に無言を通す。
 ピーブズを引きずって、地上へ戻る。
「暴れてましたので確保しました」
「遊んでただけ――」
「ほかに怪しい気配はありませんでした」
 きっぱりと言って、司書と女生徒と協力し、ピーブズを追い出す。三人で図書館を出た。
「ご苦労様でした」
 おやすみなさい。挨拶を交わし、解散。しばらくして、図書館前に戻った。扉が開く。するりと出てきたのはセバスチャンだった。
「どうだった?」
「夜更かしか監督生」
 それも悪い監督生だ。セバスチャンがにやりとする。
「ギルは消えたよ」
 壁に向かって突っ込んでった。しばらくかかるんじゃないか。
「キングズクロスの仕掛けみたいなものかな?」
「かもなあ」
「で、そっちの収穫は?」
「漁ったけどいまいち……僕は拷問各種の手引書なんて好きじゃないって知ってるだろ?」
 クルーシオのがマシかもしれない。セバスチャンはげっそりしていた。
「オミニスに言ったら駄目」
「言わないって。あいつ絶対卒倒する」
 オミニスの家族は複雑もといろくでなしなのだ。ぼかしていたが、オミニスは磔刑の呪文を受けたことがあるのは間違いないだろう。磔刑の呪文がどうこうなんて聞きたくないだろう。
 早足で廊下を進み、おやすみと言ってわかれる。寮に戻り、ソファに腰かけた。誰もいない談話室にかすかな音が響いた。魔法のように現れたのはギル。片手に透明マントを持ち。
 片手に本を持っていた。

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