イライアス

 眼に包帯を巻かれ、首も手当てされ、ひとりぼっちで過ごすセラに、聖マンゴの職員たちは親切だった。それは癒者の職業意識もあったろう。だが、眼をえぐりとられ、母を殺され。父に殺されかけ、その父が祖父に殺された。当時五、六歳の娘に対する同情もあったろう。
――いたわりと同情と
 少しの好奇心と。癒者たちの口は固かった。けれど噂は流れていた。
『……あの竜殺しの孫殿が』
 入院しているとか。病棟を行き交う患者の、わずかに高くなった声。三校対抗試合優勝者――ただひとりの生き残り。竜殺しのジークフリート。リアイスではなくなった男。その孫が悲劇に見舞われらしい。かわいそうなことだ。まだ幼いのに。
 先行きは暗いだろうね。
 だって人殺しの孫なんだから。
 ひそひそと、隠しようもない仄暗いものを湛えた声。
 病室の外に出たくなかった。えぐり取られた眼は無事に戻ったけれど、包帯を取る日が来るのが怖かった。見えたところでなんになるのか。
 布団の中で身を丸め、涙すら流せない。泣いたって仕方がないのだと、誰も助けてくれないのだと、セラは知っていた。だってみんなセラを置いていってしまったから。
『どうか』
 お願いします。震える声で言った祖父。大人なのに今にも泣き出しそうな声だった。どんな顔をしていたのか、セラは知らない。
『ポッター家への手紙を渡してくださいませんか』
 この子を託さねばなりません。
『シャープ殿』
 行かないで、と叫びたかった。けれどできなかった。喉の焼け付くような痛みもある。目まぐるしく進む事態に――なすすべもない恐怖で凍りついていた。
 父のひやりとした手が離れたのはわかる。重いなにかが倒れる音もした。祖父のすすり泣きも。飛び込んできた『シャープさん』の声も。
『情状酌量の余地はある。正当防衛だった』
 だから、望みはあると。掠れ声が言って。
『ですが』
 監獄には入れられましょう。
『私は死の呪いを行使し、息子の息の根を止めたのですから』
 終身刑は避けられるかもしれない。正当防衛が認められるかもしれない。それでも無罪とはなりません。
『帰って来れるかわからない』
 だからあなたに手紙を託すのです。
 淀みなく紡がれる言。嫌でもわかってしまった。祖父がなにを言っているか。
――二度と
 祖父が戻ってこないかもしれないと。
 ようよう「行かないで」と言った。叫んだのかもしれない。祖父に言わせたかった。セラの側にいると。必ず帰ってくると。けれど祖父はセラの幸せを願うばかりで。
 約束はしてくれなかったのだ。
 ◆
「随分うなされてたねえ」  柔らかな声。ぼうとそちらを見れば、焦げ茶色の眼があった。椅子に腰かけ足を組み、彼は――義兄のイライアスは薬草図鑑をぱたんと閉じた。
「寮で、寝かせてくれたらよかったのに」
 ぽつりと呟く。どうやら医務室に担ぎ込まれたらしい。大げさな。
「失神しといてそれはない」
 妹よ。君はどこまで覚えてる。セラを軽く睨めつけながら、イライアスは問いかけてくる。
「返り血まみれのヘクター……と騒ぐナティ」
 トロールの額を槍で貫いてみせた幼馴染。確か、槍は血気盛んな骨董品店の主から借りたと言っていた。
 傷を軽く処置され、問答無用で天馬に乗せられ、そこから記憶がない。
「疲れがたまってたのもあるんだろうね」
「トロールの抵抗が激しくてね」
 竜の時は、墜落させるのが目的だった。トロールの場合は時間稼ぎをする必要があり、なおかつ異常な力が増していた。得体の知れない魔法――首輪の精度が上がっているのだろう。生き物を蝕み、心を狂わせ力を与えているのだろうもの。
 小鬼の作だとして、それが大量につくられて使われるとすれば厄介なことになるだろう。
――もう
 厄介なのか。古い魔法を、きっと歴史の闇に葬られたであろう、それの尻尾くらいは手に入れた。彼らは浮かれ騒ぎ、魔法族に鉄槌を食らわせたくてうずうずしているのだろう。先に破滅があるかもしれないなどと思ってもいない。小鬼だから。彼らの本分は武具をつくり、時に装飾も手掛け、輝きを求め地へ潜り、あるいは山を掘る者。杖持つ者と違って、力ある魔法の怖さを知らない。
「うろついてたならず者は、一旦ホグズミードを出たらしい」
 イライアスの言に我に返る。義兄の眼には労りの色が濃い。セラがならず者たちを見かけ、過去の記憶を刺激されたのではないかと案じているのだろう。
 そう、と頷く。義兄の心配は杞憂だ。多少は嫌な――それこそ忘れてしまいたい過去を思い出したけれど。
「追い出したってのが正しいね」
 転入生にならず者――ルックウッドの一派が絡んでたみたいで。ホグズミードの連中も気が立ってたから杖を向けて叩き出した。
 それからイライアスはつらつらとトロール撃破後の出来事を語る。死者は出なかったとか、杖十字会の腕試しができてよかったとか、シンガー巡査が事件について調べるみたいだねとか。
「僕を頼ってくれたのは嬉しいけどね」
 君は視るだけだ。逃げてもいいし、身の安全を優先してもいいんだ。
 守護霊が飛んできて大慌てだったよと、イライアスは軽く言う。実際は最速で動いて、必死で駆けつけてくれたのだろう。杖十字会に招集をかけて。
「……死人が出るのを避けれてよかった」
 ありがとう義兄さん。
 イライアスは眼を細める。
「君の兄だからね」
 当然のように彼は言う。セラはそっと息を吐いた。
 過保護な兄だ。ずっとそうだ。出会った時から。
『僕がいるから』
 闇に閉ざされた中、その声はよく響いた。
『だから大丈夫』
 ひとりではないと言ってくれたのだ。
 時にうっとうしくても呆れても、それでもセラにとっての兄はイライアスしかいないのだ。人殺しの孫だと、哀れな子だと蔑まず、まっすぐな心を向けてくれたから。
「……で、そこの野郎。僕の妹に何の」
 扉口に顔を向け、威嚇を始めた義兄に嘆息する、無言で杖を振って黙らせた。もしかして、義兄がいるから男の子が寄ってこないのか。寄ってきても友達止まりなのか……とうっすら思ってはいる。が、確かめようもないし怖くて確かめたくもない。
――そもそも私
 誰かと付き合いたいのかもわからないのだ。
 もう一度ため息を吐く。イライアスを無視して手招きした。
「お見舞いに来てくれたの?」
 ひょっこり現れたのはギルである。悲愴な顔をしているイライアスを無視し、椅子に腰かけた。よかった、気がついたんだね。トロールの件ではありがとう……とあたりさわりない話をした後で「退院するんなら寮まで一緒に帰ろう」と続けた。
 要は迎えに来たのだろう……わざわざ。
――なにかあるな
 校医に退院することを告げ、もとい振り払い、義兄は放置した。レイブンクロー塔へ向かう道すがら、ギルが囁いた。
「禁書の棚に入りたいんだ」
 求めるものがそこにあるかもしれない。

【act7-2770字】
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