罪の在処

「なにがあったの?」
 知りたがりのお節介みたいで嫌だなあと思いつつ水を向ける。訊かれたくないのなら、わざわざギルも口にしないだろう。一人で抱えるには重すぎると感じているからか、セラやヘクターへ開示することが信頼の証と思っているからか。ギルの心の内はわからないけれど。
「最初はね」
 お菓子が流行ったんだ。舐めたら声が変わる飴。ささやかなお菓子だし、他愛もないものだった。
「ギャレスみたいな新しいことが好きというか、試したがる子がつくったんだろうな……でみんな流してた」
 みんな、というのはイルヴァモーニーのいわゆる自治組織のことだ。喧嘩の仲裁、困りごとの解決等々、生徒の生活を支える組織。悪質な刃傷沙汰にも時には介入する。ギルはその一員だった。
 ホグワーツだと監督生制度があてはまるだろうか。もっとも自寮の監督が主であって自治にまでは踏み込んでいないが。
「……で? 最初は菓子だったけど」
 毒入りのものでも出回ったか。
 ヘクターが囁くように問う。秋の空は晴れていて、風は冷たいけれどいい天気だった。まったく暗い話に――殺人の告白なんてものに似つかわしくない。
「似たようなものだよ」
 ギルもまた囁く。
「麻薬入りのが出回ったのさ」
 ヘクターとセラは同時に顔をしかめた。大事ではないか。ホグワーツでも怪しげな薬もどきが出回らないわけではない。試験の重圧から、頭がよくなる薬だとか集中的が増す薬だとかに手を出す生徒もいるのだ。賢いはずのレイブンクロー生でさえ買おうとするし使おうとする。賢さ――知識学力を鼻にかけ、優秀な己を誇る生徒が多いので、試験で下位をとるなんて耐えられないのだ。
 その薬の実態はドクシーの糞を乾かしてどうにかしたものとか、適当に薬草を混ぜてなんとか……やら、呆れるほどのもどきっぷり。セラは監督生になると目されていたのか、昨年は寮の上級生の仕事にも多少は連れ回された。薬をとられて泣き崩れるレイブンクローのお兄様お姉様方が怖かったのなんの。
――ほんとに
 試験の成績にこだわるのよねえ。学力も知識もないよりあったほうがいいのだが、レイブンクローは極端なのだ。
 あまりに行きすぎて、成績上位者への嫌がらせも時たまある。そんなことをするのはごくごく一部なのだけれど。
「まがい物じゃなく?」
 ヘクターが慎重に問う。
「残念ながら本物だったね」
 疲れが吹き飛び世界が澄んでみえる魔法の薬。これさえあれば試験もばっちり。ギルは歌うように言う。
「上級生を中心に出回った。売人は何人かの生徒で……先生も調べてたけど、僕らのほうがはやかった」
 売人をひとり捕まえて、あれこれ吐かせた。
「学費が払えない、家が困窮してる。妹も学校に行かせたいとか、あとはカッコいいからとか、モテたいとかまぁ理由は色々だったみたいだ」
 ギルの唇から、吐息がこぼれる。
 外の大人に誘われたのだという。手軽な小遣い稼ぎ。病みつきになる薬、いくらでも欲しがる生徒はいると。
「それで、元を突き止めて踏み込んだのね」
 そうだよ。ギルの眼は暗い。片手で眼の傷跡をなでさすっていた。
「イルヴァモーニーを退学したり、追放されたり、そもそも学校に入れなかった連中が売人――生徒に薬を流してた。僕ら――セイア同盟は学校の秩序を守る。だから拠点に踏み込んだ」
 夜に学校を抜け出して、決闘者たちは動いた。最高学年を中心とした一団だった。当時四年生だったギルも選ばれたひとりだった。
「奇襲して――片はついた。僕らは怪我人こそいたけれど死者はいなくて。あっちは一人死んだ」
 僕が殺した。
 セラは――ヘクターも黙って耳を傾ける。
「何人か向かってきたから、まとめて吹き飛ばした。ならず者たちと、そいつ子飼いの生徒」
 ならず者は壁に叩きつけられ、しかし子飼いの生徒の行く先には、一角獣の頭部が飾られていた……
 せめて即死であればいいのだけど。セラは場違いなことを考えた。角に貫かれて死ぬなんて、痛いしなかなか死ねないしだろう。
「事故だろう」
 ヘクターは言い切る。セラも頷いた。ギルは顔をしかめた。
「故意じゃなかった。頭ではわかってる」
 でも。ギルは吐き捨てるように言う。
「気分の良いものじゃない。人は生き返らない。死は取り消せないのに。同盟のみんなは事故だって言ってくれた。それでも、そう思ってくれないひともいる」
「それで人殺し……と?」
 ヘクターが鼻を鳴らす。群青の眼に、隠しきれない傲慢が見え隠れした。
「戦いもしない連中の戯言だ。お前はすべきことをしただけだろう」
「彼らは、正しいことも言ったんだ」
 お前なら、同盟の決闘者なら失神呪文で、それかほかの呪文でどうにかできたろうとか。
「専門家でもない――それこそヘクターみたいなのじゃない限り、戦いで混乱するのは当たり前よ」
 たまらず遮る。ヘクターが「人を狂人みたいに言うなよ」と抗議してきたが無視した。背中に汗がにじむ。軽い耳鳴りがした。こんなにいい天気なのに。
「あなたは、死の呪文を使わなかった」
 セラの祖父と違って。
『孫娘を守るためとはいえ』
『恐ろしいこと……』
 失神でも石化でもできたでしょうに。
 ひそひそとした囁き。ためらいなく実の息子を殺した祖父への恐れと侮蔑。
「できることをしたの。もし、もしね……ホグワーツにあなたの噂が届いても、なにか言われても人殺しなんて言わせない」
 勝手なことを言わせない。
 祖父がなにを考えていたかもう訊けないけれど、とっさに放ったのだろうと思う。セラの――孫娘の首を締めている、己が息子を前にして、冷静さを保てるだろうか。祖父は人を殺した。明確な殺意を以て殺した。それはもちろん罪だけれど、セラだけは祖父を責めてはいけないのだ。
 祖父は、セラを助けるために、杖に死を歌わせたのだから。

【act10-2352字】
inserted by FC2 system