地図の間と第一の試練

「もし、当時あなたたちに打ち明けていれば」
 力を利用する術を見つけ、戦に使っていたでしょう。落ち着いた、柔らかな声が語りかける。セラは『地図の間』に座り込んだまま、沈黙を守った。
 魔法灯でほのかに照らされた空間だった。広さはざっと大広間くらいか。飾られた肖像画が四枚、一枚が女。残り三枚が男だ。話しているのは女――ニーフ・フィッツジェラルド。ホグワーツの校長だったという魔女だ。
 彼女の前に立ち、腕を組んでいるのはヘクターだった。フィグ先生とギルはどうしたものかと佇み、セラは長くなりそうなのを見越して座っていた。
「確かに。その当時は無理だったろう。けれど、後生大事に守った魔法――術を継承し、子孫を育て、我々リアイスに事の経緯を伝えればよかっただろう」
 別に数百年に一人しか、資質ある者が生まれるなんてわけでもなさそうだ。
「現にあなたの時代では四人も、今だとギルと……」
 ヘクターがフィグ先生を振り向く。軽く目礼した。
「フィグ夫人が該当する」
 ぐ、とニーフ……長いのでニーフ先生と呼ぼう――の喉が鳴る。
 成人済みの実力ある魔法使いと魔女相手だろうが、ヘクターは手をゆるめない。この場合、口だろうか。一旦城に戻り、ギルの手当をし「その地図の間とやらに乗り込む」と宣言し、フィグ先生は「もう好きにさせよう」と匙を投げ、連れ立ってフィグ先生の室を出た。
 ギルの案内で魔法薬学教室近くに行き、そこから地下の貯蔵庫区画へ――下って下って、とある倉庫に。壁しかないはずの場所にギルが突っ込んでいった。約五分後、ギルが戻ってきて『地図の間』に招かれたのだ。どうやら、部外者を入れたくない守護者たち対ギルで舌戦を繰り広げていたらしい。
 そして今、ヘクターが好き放題に文句を言っている。
 お前たちの怠慢で問題を先送りにし、知識と技術の伝達もできず、中途半端な状態でほったらかしにしてどういうつもりだ、と守護者たちを責めている。セラもほぼ同意見だ。
――そもそも
 決闘の才があるギルだからよかったものの、ほかの生徒が古代魔術の資質があったらどうしていたのか。試練とやらでギルは結構な怪我を負っている。守護者は資質ある者の生死などどうでもいい……半端な者ならいっそ死んでしまえと思っている節がある。
「……小鬼は当たりをつけているように思います」
 ラッカムの金庫に侵入したのがその証でしょう。
 セラは、座ったままギルを振り向く。
「最初からギルに眼をつけていたとは考えにくい。小鬼は明らかに、どこからか情報を得て……」
 ふっと、景色が霞む。どこかの山だろうか。ぼんやりした小さな影がある。
「ランロクは……■■■■■■の日誌にあった名を」
 手がかりに。
 ため息を吐く。ほのかに熱い眼を瞬かせた。いつかの未来だ。そう遠くはないのだろうか。
「ヘクターもね、あなたがたが完璧に事を収めてくれていたら、ここまで怒っていませんよ。子孫か弟子を育て、記憶と技術を継承しきるか、歴史から一切合切抹消してくれていれば……ルックウッド先生の子孫は――ビクトール・ルックウッドは闇の道に進んでますけどね」
 守護者と名乗っているこの四人を、セラはいまいち信用する気になれない。小鬼が当たりをつけるだけの情報を残しているわけだし。なにを隠しているかも判然としないし。なんらかの遺物――それも小鬼が銀と組み合わせて使えるもの――なのだろうが。
 厳重に作った器に数百人を生け贄にして組んだ魔法が封じてあるとか、オブスキュラスがどうこうとか、太古の呪いがどうこうとか、なんでもありえるのだが。小鬼に発見され利用されているのだから、守護者の手落ちだろう。
 なにもわからない小娘が。ふん、と鼻を鳴らしたのは青い衣と帽子を身につけた魔法使い。サン・バカー……バカー先生というらしい。
「その無知な小娘は、あなたがたの失敗のつけを止めましたけど」
 暴走した竜をね。小鬼の首輪をつけてましたねそういえば。ちくちく言ってやれば黙った。背後で「セラ……遠慮がないな」「あの子は教師の理不尽も論理と度胸で叩き斬るから」「そうですか。そっかあ」とギルとフィグ先生がおしゃべりしていた。ほめられていないのはわかった。
――世の中なんか理不尽でいっぱいなのに
 助けの手なんて滅多にさしのべられないのに、強くなければ生きられないではないか。
「ヘクター、セラ、先生方を責めるのはそろそろ終わりにしなさい」
 フィグ先生が割って入る。肖像画たちを順繰りに見つめ、呟いた。
「さて先生方。このような室をつくり、私の生徒をどこに導こうというのですか?」
 ◆
「取り壊すのも面倒で放置していたけれど」
 更地にしとけばよかった。ヘクターの杖から、黄金の炎がほとばしる。迫る亡者を灰に変えた。
 禁断の森北部、湿原地帯の近辺にある廃墟。名もなき塔にセラたちはいた。サン・バカーが建てたものだという。
「僕は巻き込まれた側で、多少の手助けくらいあってもいいでしょう」とギルが主張し、試練とやらの場所――塔まで、セラとヘクター、そしてフィグ先生の同行が認められた。
 どうも守護者たちは独力でなんとかすべきと思っているようだったが、知ったことではない。セラが遠回しに「これまでいったい何人の候補を犠牲にしてきたのか」と言えば、パーシバル・ラッカムは眉間に皺を寄せていた。数百年で候補者が皆無なわけがないだろうと思えば当たりだった。篩にかけるとは聞こえがいいが、つまり彼らの流派が守ってきた魔法を手にするに値しない者を、闇に葬ってきたのだろう。
 ろくでもないわね。独りごちて手を振った。小瓶が弧を描く。非力な小娘となめてかかってきた小鬼たちを、雷が襲った。もう片方の手で杖を振り、背後から迫ってきていた小鬼を石に変える。
「多いな」
 羽虫を振り払うように、小鬼と亡者を排除しているのはフィグ先生だ。どうしてこの人が闇の魔術に対する防衛術の職につかなかったか疑問だ。
 下から上へ駆け上がり、追いかけてくる連中をせっせと片づけていった。屋上にたどり着き、三人は息を吐く。
 敵は引きつけてどうにかしたから、今頃ギルはゆっくり探索できているはず。もしかして試練の入口を見つけて突入しているかもしれない。
「一帯を掘り起こすべきかどうか」
 ヘクターが座り込む。額が汗で濡れていた。セラも似たようなものだけど。
「出てきた分だけなんじゃない、亡者。さすがに百体もいないでしょう」
 いないと思いたい。塔近辺にまだまだ亡者が埋まっていたらたまらない。
「ビクトール・ルックウッドの陣営に、優秀な魔法使いがいるのは確定だ。ついでに倫理観が欠如している」
 フィグ先生の顔には嫌悪が刷かれていた。
「墓を荒らした分が大半で殺して再利用が一割二割でしょう」
 ヘクターがさらりと返した。セラは階下に散らばる骨やら灰やらを思った。小鬼が始末してルックウッド陣営が再利用か、ルックウッド陣営が殺して再利用か知らないが、ろくでもないのは間違いない。
「葬送人でも連れてくるかね」
「……各地で対処に追われていますから」
 葬送人。亡者をつくった式を纏めて解除できる者たちだ。墓守の黒犬、ブラックドッグとも呼ばれる。常は葬礼を司るが、有事となれば、亡者に対処する職だった。
「埋葬の時に手を加えないと駄目でしょうね」
 ヘクターの嫌そうなつぶやき。無理もない。手を加えるとは亡骸の首を落とすことを指す。亡者が増え続ければ、最悪そうなるだろう。
 名門の墓ならいざ知らず、各村落の墓はあまり管理もされていない。ろくな守りも敷いていないし、その気になれば掘り起こせる。
「我々がすべて対処しなければならないというわけでもないだろう」
 フィグ先生が立ち上がる。黒々と広がる森――その先にある城を見つめていた。
「はた迷惑な守護者が隠している何か、開示を怖れているであろうなにかが、ランロクやルックウッドの手に渡らないようにしなければ」
 でなくば。
 命がけで『箱』を送ってきた、ミリアムの犠牲が無駄になる。
 冷えた声でフィグ先生が言い、セラは眼を瞑った。殺されたというフィグ夫人ミリアム。
 放浪の学者。失われた魔術について研究していた人だった。
『どう? エリエザーはちゃんと先生をやっているかしら』
 いつかのホグズミードで会ったことがある。明るくて、魅力的。義兄に連れられて、こっそりホグズミードに『密航』したセラとヘクターを面白がっていた。フィグ先生はセラたちを叱りながらも、表情は軟らかかった。仕方ないなと言って。
『誰も知らない魔法なんてすてきじゃない? だから知るのをやめられないの』
 失われた魔法を求め、触れてしまったばっかりに彼女は殺された。単なるいきずりの犯行か、それとも。
 古代魔術に手を伸ばす、ルックウッドか。
 魔法族を憎むランロクの仕業か。
 真実は闇に包まれたままだ。

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