ホグズミードとならず者

「竜は操られていた」
 ……のだと思う。
 魔法理論のエリエザー・フィグ。フィグ先生はそう言った。
 新学期がはじまって約一週間。土曜日の午前、セラはフィグ先生の室を訪ねていた。
「竜の首には火傷の痕があったとか」
 ソファに腰かけ足を組み、紅茶を口にしているのはヘクターだ。群青の眼を研ぎ澄ませ、ひたとフィグ先生を見ている。
「リアイスの情報かね?」
「省にもいますからね」
「で、どういう結論に?」
 ヘクターは肩をすくめる。
「竜の暴走。ジョージ氏はお気の毒……。不審な点はあっても流してますね。たとえ竜の火傷の痕が、首輪を思わせたとしても」
「仕方がないか」
 はあ、とフィグ先生は嘆息する。元より期待していなかったのだろう。
「先生にもギルにも、余計な火の粉がかからなくてよかったんじゃ?」
 口を挟む。
「代わりにランロクに顔を見られたけどね」
 ギルは肩をすくめた。転入生は――遠くイルヴァモーニーからきた彼は落ち着いていた。片眼の傷を撫でさすり、続けた。
「正面切って相手にしたくないな」
「ホグワーツにいる限り、君は安全だと思うが――」
 小鬼は執念深い。顔をしかめたのはフィグ先生。頷いたのはヘクターだった。
「返り討ちにすれば済む話だったら楽なんですが」
 得体の知れない力を使える以上、小鬼は止まらないでしょう。つらつらと言うヘクターは、大層嫌そうな顔をしていた。小鬼のランロクを首魁とする一味はあちこちで暴れまわっている。村落の近くに陣取って威圧。気まぐれに襲撃等々。迷惑な話で済む範囲を超えつつある。
「ずっと籠もりきりというわけにはいかないでしょう」
 買い物にも行かなきゃいけないし。
「転入早々、痛い出費だよ」
 嘆くギルだが、彼はなかなかしたたかなのだ。セラの案内でホグワーツをひとめぐりし、温室に顔を出して薬草学のミラベル・ガーリック――ガーリック先生に北米の植物をあげたのだ。なんでも「ポケットに入ってて無事だったんだよね」らしい。もちろん可愛らしいガーリック先生は大喜び。「またお話をきかせてちょうだいね」と笑顔だった。ついでに「御駄賃よ」と金貨を何枚かギルに渡していた。ギルは押しいただくようにして金貨を受け取っていた。なので、ギルの懐具合は悪くないはずだ。
「セバスチャンに任せれば問題ないわよ」
 闇の魔術に対する防衛術で、ギルはセバスチャンと仲良くなったようだった。ホグズミード行きも、セバスチャンが同行してくれるらしい。
 セラが同行する必要はなくなった。第一、ホグズミードでセラとギルが連れ立って歩いているところを義兄に見られでもしたら……。
 やっぱり彼氏なのかそうか僕が見定めてやるどうこうとうるさい。ギルにホグワーツを案内している時に見られて大変だった。同寮なのよ、私は監督生なのよ。なに? 男の監督生がいるだろうって? 彼は勉強中だから私が引き受けたの。もう黙って! だった。義兄――イライアス・ポッターはセラの周辺に関して敏感だ。無理もないけれど。眼にも首にも包帯を巻かれ、首を縦に振るか横に振るかしかできないセラの姿が焼き付いているに違いない。
 ◆
 五年生は普通魔法試験が控える学年とはいえ、さすがに新学期早々に城にこもって勉強するほど熱心ではない。セラは全科目で優を狙うほどの情熱はないので、もちろんホグズミードに行った。
 ワガドゥー出身の魔女、ナオイ・ナツァイ――ナティと待ち合わせ、勝手知ったるホグズミードを散策する。
「――よくない感じだね」
 ナティは黒い眼をすがめる。さっきまで存分に買い物し、機嫌がよかったのが嘘のような険しい顔だ。
「ならず者」
 小さく返す。そっとポケットをまさぐった。滑らかな感触。義兄から押し付けられた透明マントだ。
『なにかあるといけないから』
 そう言って。過保護である。一年生の時から透明マントを持ち歩いているが、さほど使うわけではないのに。
「最近出入りがあるみたい」
「どれくらい最近? シローナの情報だよね」
 ナティは三本の箒の店主、シローナ・ライアンと親しい。そしてシローナは人気者だ。ホグズミードや近隣の村落の噂も掴んでいるだろう。
「新学期が始まってすぐくらいだって」
 そうなの。返し、フォーテスキューのアイスクリームパーラーへ向かう。広場近くの名店だ。
――新学期が始まってすぐ
 ざわめきを抜け、広場に。アイスクリームパーラーに腰を落ち着ける。
 ギルとフィグ先生の顔を見たのは小鬼――ランロクの一味。ならず者がホグズミードに出入りしているのは偶然か?
 ビクトール・ルックウッド率いるはぐれ者犯罪集団――アッシュワインダーズとランロク一味が手を組んだとか。ありえないことじゃない。どちらも混乱と破壊を好む。魔法使いと小鬼の壁なんて些末なことだろう。
――ならず者
 セラの眼をえぐりとったのは、違法売買や拉致を主にしている集団だったという。約十年前に壊滅に追い込まれた。アッシュワインダーズと名乗る一派が動きはじめたのはその後だ。セラの一件とは無関係だ。
 耳の底にざらついた声が蘇る。セラの眼をえぐりとり、なにもかもを踏みにじった男たち。ならず者を見るとどうしても思い出す。
「セラ?」
 手首に冷たい感触。向かいの席から身を乗り出し、ナティが声を震わせていた。
「気分悪い? 帰ろうか?」
「だ、大丈夫だから」
 無意識に爪を噛んでいたらしい。顔がほてる。いつまでも子どもみたいなことを。二年もしたら成人なのに。
――あいつらは死んだのに
 いや、母も祖父も――セラをなじり殺そうとした父も土の下だ。
 セラだけだ。生きているのも、こうして過去に振り回されているのも。
「アイスを食べたら元気になるから」
 手を振る。カップアイスにスプーンを差し入れようとし――世界が回った。
 悲鳴と、壊される家屋。誰かが叫ぶ。
 ■■■■■!
 は、と眼を見開く。二つの眼が――未来を映すそれが熱かった。
 くっきりと視えた。これは近い未来だ。おそらく、あと数分。
 パラソルの影から広場を見回す。セバスチャンとギルを見つけた。セラは杖を振る。間に合うか――銀色の影が飛んでいく――間に合って――。
 どん、と腹に響く音がする。広場の石畳に亀裂が入る。セラは己とナティに透明マントを被せ、身を隠す。
 守りの内から捉えたのは。
 赤黒い光をまとったトロールだった。

【act5-2567字】
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