アースコットの兜

 靴が、湿った土を踏む。粗い石壁に片手を突きながら、セラはギルの広い背を追った。
 目的は『アースコットの兜』。小鬼の宝で、名高い職人がつくったのだそうだ。
「だが魔法使いに奪われた」
 シローナの友人――小鬼のロドゴクは言った。数年前のことで、先日ようやく場所らしきものを突き止めたのだという。
 ランロクの頭を冷やすためにも、どうか取り戻しに行ってくれないか、と言われ、セラは成り行きで同行することになり、今に至る。
 別に面倒ごと好んで首を突っ込んでるわけではない。なぜか面倒ごとがやってくるのだ……とセラは思った。ロドゴクにホグズミード近くの墓場、地下廟の一つに案内され「ここに隠し扉があってその先に洞窟が」と言われたときはめまいがした。ギルに任せてホグワーツに帰るべきだった。夕食もまだである。ロドゴクが携帯鍋でなにやら煮込んで「早く戻ってきなさい。準備しておくから」と言っていたか。「あれはきっとシチューだな。いいね」とギルは呑気だった。
 階段をいくつか降り、室を抜けた先に行き止まりがあった。ギルが探知の呪文をかければ、ぼうと扉の輪郭が浮かび上がる。セラは扉に杖を向けた。
 ◆
「セラは呪い破りかなんかなの」
 ギルの杖が弧を描く。たちまちのうちに蜘蛛が石となり、砕け散った。下手に斬れば体液が飛ぶ。妥当な選択だ。セラは顔をしかめながら蜘蛛を空中に打ち上げ、石化させた。落下とともに砕け散る。
「ウィーズリー先生がね」
 話してくれたのよ。返しながら蜘蛛をさばいていく。ああ、このうぞうぞとした足が嫌だ。蛇のほうがまだいい。かわいいし。オミニスは蛇に好かれてうんざりしていたな……と他愛もないことを思い出す。首にまきつかれて絶望していた。「蛇に罪はないが俺は嫌だ」とぼやいていた。そのくせ蛇語は話せるし蛇を操れるしで、本人の好悪と才能は別だなとセラは感じたものだ。
「あの人、呪い破りだったから」
 最後の蜘蛛を始末し終え、腰に巻いた革帯――ポケットがたくさんついている――から、小瓶を取り出した。己とギルに中身をかける。虫除けの薬である。入る前にかけておけばよかった。
「色々聞いたのよ」
 気さくな先生だ。たまに図書館で会って話すこともあるし、監督生の仕事の報告で彼女の室に出向くこともある。呪いの破り方や、仕掛け破り方等々、雑談ついでに教えてくれるのだ。
「あの隠し扉の仕掛けはゆるかったけど」
 義兄仕込みの鍵開けでなんとかなった。杖十字会は、腕試しと称して「困りごと」を解決することもある。時には鍵開けや封印解除の手段も必要だ。
 たとえばこの前なんかは「家の墓に不用意に入って呪われたので助けてほしい」というものがあったようだ。杖十字会の長、義兄ことイライアスはスキップしながら依頼をこなしたらしい。冒険が好きなのだ。古い墓なんてもっと好きである。魔法薬の材料にもなる、亡者あれこれがとれるから。
「……ゆるすぎたんだけどね」
 楽しかったよと言う義兄と「これじゃ僕らなんでも屋だよねえ」と言う調整役ルーカンの姿を頭から追い払った。
「いまのところ、いたのは蜘蛛ばかりだし」
「誘い込んで消そうって?」
 ありそうだねえ。ギルの態度は変わらない。修羅場をくぐってきた男なのだ。
「それにしては」
 人の気配がないな。ギルの眼は淡く輝いている。魔力の輝きだ。やはり『識眼』持ちなのだろう。魔力を視る眼。視えるものに、失われた古い魔法も含まれていたのだきっと。
「拠点のはずなのだけど」
 兜を奪った誰かは、ここを生活の場にしていたようだ。墓地なんてたいして誰もこないし、あえて探す者がいない限り露見しないだろう。てっきり入口の仕掛けを簡単にしておいて、侵入者を排除するつもりかと思えば。
 たまたま出かけているのかなと呟いて、ギルは歩を進める。蜘蛛はセラたちを見ても寄って来なかった。
 しんとした時間。薄暗い中、ギルを追う。戻った頃には真夜中だろうか。一応、シャープ先生とヘキャット先生に連絡は入れておいたけれど。
 足をはやめる。ギルの歩幅は広いのだ。いや、セラが遅いのか。悲しいかな、体格差である。
 先をゆく背。あたりは暗い――ひどく暗い。
 ちろちろと燃える紅の光。火の粉のようだと思い、そうではないと思い直す。赤黒い光の粒。
 よくないものだ、と思う。触れてはならず、忘れられるべきものなのだ。こぼれた力の欠片。
「早く行かないと」
 ランロクは、なにをしでかすかわからない。
「まさか――」
 ギルの隣にはフィグ先生がいる。張りつめた気配が背から漂っていた。
「ここまでやるか」  小鬼を嘗めていたよ。低い呟き。
「同胞がどれほど死んでも構わないようだ。守りは堅い。たとえ小鬼の銀でも容易には破れない。また、侵入者を排除する仕組みもあるはずだ」
 どれほどの怒りが小鬼に下されるか、私にもわからんよ。

 ふ、と視界が明るくなる。魔法の火が洞窟を照らす。とん、とギルの背にぶつかった。
「ごめんな――」
 さい、と言おうとして、鼻を突く異臭に顔をゆがめた。ギルの背から顔を出す。
「うかうかと入ったら死ぬよね」
 そうね、と頷く。視線の先には円形の室。置かれている柩。置かれた兜。そして――起き上がり、あるいは地から手を突き出し這い出てくる亡者の群れ。
 葬送人がいたならば、亡者を亡者たらしめている魔法を一気に解除するだろう。だが、セラたちはただの学生でただの魔法族だ。もっとも楽なのは。
 セラは小瓶を取り出して、放り投げた。インセンディオを放ち、ギルに言う。
「盾を」
 いや、言おうとしたが、ギルは察しがよかった。開口部を盾の呪文が塞ぎ――紅蓮が室を席巻する。炎の魔法と念のために仕掛けた爆炎薬が、いかんなく力を発揮し、亡者を食っていく。跳ね、踊り、悲鳴を上げ、彼らは出口に殺到する。鈍い音が幾度も響く。炎に舐められ、端から食われて崩れていく。その様を、ギルとセラは眉ひとつ動かさず見守った。
――これ以上おとしめられるより
 このほうがずっといい。
 やがて炎が消える。ギルの額から頬を汗が伝い、顎先で玉となって滴った。盾の呪文が解かれる。とたんに独特の――肉が焼け、骨がいぶされる臭いがした。靴が焦げた骨を踏む。軽い音とともに砕けてしまった。
 なるべく骨を避けながら、柩――その上の、輝く兜を目指す。ギルが慎重に手を伸ばし、回収した。何事も起こらない。盗人は呪いをかけたりはしなかったようだ。
 だが、その本人はどこに? 二人の眼は鎮座する柩に向かう。ぴったりと閉ざされた蓋。元は貴人のための柩だったのではないか。長い足が伸びる。ギルが柩の蓋を蹴った。滑り落ち、固い音を立てる。杖を構えたセラは、横たわる誰かを捉え――次の瞬間には息を詰めていた。
――首
 セラの首に、がっちりと食い込む手。異常に長い。まるで、呪文に失敗したような。いびつな変質のような……。
 柩から離れているべきだった、と後悔する。たぶんきっと、この腕の主は、柩に横たわっていた人物は亡者の主で。亡者をつくってつくって守りにして、でも失敗して逆に。
――失敗して
 視界が明滅する。赤黒い闇がやってくる。
 失敗した。私は失敗した。未来を見通せなかった。わざとじゃないの。
 母の悲鳴が聞こえる。セラ、と必死に名を呼んで。
 明確な殺意をもって、父がセラの首を絞める。みしりと骨がきしむ。ああ、喉がつぶれる。
『お前なんて』

 代わりに死ねばよかったんだ。

【act15-3736字】
inserted by FC2 system