使者と小鬼

「我々としても非常に鬱陶しい問題だ」
 灯りが躍り、すすけた石壁に影がのびる。ダイアゴン横丁――漏れ鍋、隅の席で指を組んでいるのは小鬼だ。身なりはよく、姿勢もよい。声は柔らかく、賊とは一線を画している。
「やれ金庫の開けろだとか、同族のためにだとか……」
「破落戸のゆすりたかりに辟易している、と」
「そうだ。シャープとヘキャットの弟子よ」
 セラははいともいいえとも言わず、濃い紅茶を飲んだ。軽食――サンドイッチを「おひとついかが?」と勧める。小鬼の前には珈琲だけだ。セラばかり食べていては、なんだかやりにくいではないか。
「変わっているな。小さな魔女よ」
「私が嫌うのは破落戸――賊だけ。あなたがたのような選良にまで敵意は向けないわよ」
 ねえグリンゴッツの番人さん。
 小鬼の鼻の穴がふくらんだ。グリンゴッツ勤めは小鬼のなかでも選良だ。彼らは他の小鬼と自分たちは違うと全身で主張していた。暗い山の中で惨めったらしく仕事をする連中とは違う。黄金を掌握する者なのだと。
――それが
 ランロク一味には気に入らないのだろう。頭だけよくてひ弱な、小鬼とは思えぬ軟弱者。人間にすりよる愚か者ども、といったところか。そもそもランロクは己以外は敵だと思っている節もある。同族と言いながら穏健派の小鬼を足蹴にしている。まだグリンゴッツの小鬼はランロクを突っぱねているが、穏健派はランロクが怖くて仕方がないようだ。
 セラはため息を吐く。現状の確認ができただけいいか。
 脳裏にシャープ先生の言葉が蘇る。スリザリンの書斎事件翌日――つまり昨日。魔法薬学の授業後、セラは「手伝ってくれ」と居残りを命じられた。なにをすれば? と問いかけたセラに、シャープ先生は深い色の眼を向けた。
「嫌なら断ってくれてかまわない」
 使者として、ある者に会ってほしい、と。
「省に勤めていた時に知遇を得た小鬼なのだが。彼はヘキャット先生とも知り合いだ」
 なぜ私に? 当然の問いにシャープ先生はにやりとした。
「腕が立ち、警戒心を抱かせにくい。君、横丁に杖の整備で出向くことがあるだろう?」
 この件に関してはヘキャット先生にも話を通している。
 セラはシャープ先生を見やった。彼も、ヘキャット先生も元魔法省勤務。ランロクが暴れ、一部の――いいや結構な数の小鬼が呼応している現状に、危惧を覚え独自に動いているのか。もしかしなくともウィーズリー先生も噛んでいるかもしれない。彼女もまた元魔法省勤務だ。
 教師が動けば――しかも三人は省でも有名だったという――目立つ。動かせる駒がセラだったということか。
「小鬼側に探りを入れるんですね」
 そうだ、とシャープ先生が頷いた。セラは「いいですよ」と答え、付け加えた。
「昼食代とお小遣い、いただけますよね?」
 そして今に至る。
「あなたがたに王はいなかったかしら」
「昔はいたがな。強欲にも宝を独占しようとして皆で始末したそうだ」
 にこりともしない。ざっと千年ほど前のことなど、伝説と同じだ。小鬼にとっておそれを抱く話ではないのだろう。
 今は各氏族による合議制なのだそうだ。セラは熱心に頷いた。血塗れの小鬼の姿がちらついては消える。かつての王は、楽な死に方はしなかったろう。
「――が、ランロクが頭角を現して、均衡が崩れた」
 小鬼が吐き捨てる。
「氏族を抜け、ランロクの――■■山族へ走る者が多数。無論脅しもあったろうが」
 まるで魅せられたようにふらふらと出て行く者もいた。
 ◆
 漏れ鍋を出て、セストラルで空を翔けながら、さきほどまでのやりとりを反芻した。氏族を抜けた小鬼たち。ランロクに下った者たちのことを。
――トロールを操れるのだから
 小鬼を隷属させることも可能なのかもしれない。
 ランロクはなんらかの力に接触したかなにかして、使えるようだし。いわゆる服従の呪文めいたことも可能だろう……としておく。
 ランロクは腕のいい職人だったとか。装飾品より刀剣類を好んでいたそうだ。が、堕落し、腕を磨くどころか暴れるようになった。そして彼の氏族も暴走し始めた。
「きっかけはあったのだ」
 小鬼の眼は暗かった。ランロクは魔法使いにひどく暴行され、侮辱されたらしい。まるで汚物のように扱われ、踏みにじられたとか。
 性質の悪いのに当たった、と小鬼は言っていた。ポッター家の娘ならば、我々を手ひどく扱うことはないだろうが……。
 ポッター家ねえ。つぶやきは風にとけていく。使者もとい使いぱしりに選ばれた理由に、セラがポッター家の娘だということも含まれていたようだ。
 薬学に明るい大家。戦ともなればリアイスとともに戦うことが多々あるのだが、常は親切な薬師である。聖二十八族なんてばからしいものに載ることを拒否した。同族に、マグルに、妖精に、小鬼に……求められれば薬をつくった。
 病や怪我は、誰だって辛いものだ。養父はよくこぼしていた。人が良く、純血主義にいい顔をしない。そんな人。代々そうだったのだろうなと思う。
 セラが信用――まではいかずとも、好感に似たものをもたれ、あまり警戒されなかったのは、ポッター家の名のおかげだろう。それはセラ自身の成果ではなく、ポッター家が積み重ねてきたものだ。
 なんだかとても帰りたくなってきた。『谷』に。養母は薬草の世話をしているのだろうし、養父はせっせと薬を煎じているのだろう。扉を叩けば笑顔で迎えてくれるはず。
 けれど、時折胸がふさぐ。セラには過ぎたものなのだと。実父と――顔もおぼろな男と、養父母の差に気持ちが暗くなる。愛されていた時はあったのだ。娘としてかわいがってくれていた。欠けることのない幸福があったのに、全部だめになったのだ……。
 どうしようもなかったのだとわかっていても、小さな棘は残り続ける。
 鋭く息を吐く。過去は変えられないのだ。先には未来がのびていくだけ。不確定で曖昧で気まぐれな時が。
 セストラルは音もなく空を飛翔する。あともう少し……キーンブリッジ村あたりにさしかかったとき、爆音が轟いた。
 川――橋と木立の近く。
 下を見る。高度を少し落とす。うごめく塊がいくつか。それは人影で、もっと言えば小鬼が多いようだった。
「これは小鬼の問題――」
「ただの内輪もめならご勝手に、なんだけど。商売人とそれをいびる賊にしか見えないからね」
 男の声だ。年が近い……すっくと立ち、すすり泣く小鬼をかばって杖を抜いている。おや? と思いさらに高度を下げた。呪文を発射して賊を吹き飛ばす。畜生やってられるかと叫び、賊は逃げていった。
「ランロク様が――」
 負け犬の遠吠えを聞くともなしに聞きながら、セストラルを着地させ、背から飛び降りた。
「なにやってるのよギル」
 物騒な観光ね。髪と眼をいじっているがギルに違いない。制服ではなく私服だった。
「人助け」
 返し、ギルは小鬼に声をかけている。近くには壊れた荷馬車があった。あとで修復呪文をかけないといけないな。思いながら、小鬼のそばに寄る。
「怪我はありませんか?」
 膝を突き、問いかけた。疲労困憊し、顔には殴られたような痣がある。杖を向けようとして、躊躇する。小鬼は魔法族を「杖持ち」と言って嫌っている……。
 ポケットから小瓶を取り出す。
「これをどうぞ。災難でしたね」
 小鬼は瞬く。 「なんとまあ。隙あらば値切ろう買い叩こうとする者も多いのに」
「煎じすぎて余ったものなので」
 お代はいりませんよ。小鬼の手をとって、小瓶を握らせる。オレガノのエキスだ。たいていの怪我には効く。
「おじさん、馬車直しといたよ。荷も積んでおいた」
 ギルはさっさと仕事をしていた。小鬼はしきりに礼を言い、荷馬車に乗り込むと去っていった。
 二人で荷馬車を見送る。
「魔法族にすりよっているって言ってね」
 通行税と称して荷を強奪しようとして、抵抗したら乱暴してたのさ、あいつら。
 ありえる話だと耳を傾け、ギルの横顔を見た。
「お休みの日にぶらぶらするなら、ホグズミードじゃあないの?」
「アッシュワインダーズのあれこれを調べててね」
 ナティが。
「……なにやってるのよ」
「故郷でああいうのとごたごたして、許せないんだってさ。僕も心配だし、どうせぶつかるだろうしで噛んでる」
 悪事の証拠を掴んで当局に出せば、多少は助けになるでしょう、だって。
「ざっと偵察して、構成員の数をどうこうとか、それくらいにしときなさいよ」
 あとは小さい野営地を潰すとか。それにしてもナティはなにを考えているのか。
「余裕があるなら、ルックウッドの館の偵察はしておいたほうがよさそう」
 ふとこぼし、杖に手を添えた。三十歩ほど先の木立から、誰かがやってくる。小鬼だ。ランロクの一味だろうか。それにしては、穏やかな顔つきだ。
 あれ、とギルが声を上げる。
「あなた、前に『三本の箒』にいなかった?」
 バタービールをうまそうに飲んでたから、僕もつられて頼んじゃったんだよね。
「あそこのものはどれもうまいさ。私はシローナの友人でね。名はロドゴク。さっきの顛末は見せてもらった」
 私が介入するまでもなく片づいてよかった。
「ランロクには困ったものだ」
 小鬼は二人を見上げ、にやりとした。
「どうかね魔法族」
 盗まれた伝説の兜に興味はないかね。

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