秘密の書斎

「またきてね」
 ささやきに、頷いた。アンの細い身体を抱きしめる。なぜこんなにも不安になるのか。
 黄昏時のフェルドクロフト。サロウ家の石壁と這い回る蔦は薔薇色に染まっている。アンとセラの影が古びた扉に長く延びていた。
「手紙を書くから」
「セバスチャンのことをお願い」
「できる限り頑張る」
 背後で「僕は猛犬かなにかかアン?」とセバスチャンがぼやいていた。猛犬ならまだかわいい。なんとかしてみせよう。だけれども、あんまり暴走されると困る。
――なにをしでかすかわからないもの
 アンの背をさする。念入りに別れを交わし、見守るサロウ家の主――ソロモンに軽く一礼した。
「長居をしてしまって」
 いや、とソロモンはぶっきらぼうに言う。セラとギルを順繰りに見た。
「泊まってくれてもいいくらいだ」
 特にセラを長く見て、声をやわらげる。元魔法警察だったというソロモン。両親を亡くした甥姪を引き取るだけの情はあるようだが、他人に愛想を振りまく性格ではなさそうだった。それがたとえ甥姪の友人でも。
 なにかしらと首を傾げる。そろそろ行こうというセバスチャンについていき、ソロモンの横を通り過ぎる。刹那、囁きが聞こえた。
「元気そうでよかった」
 五歳の女の子に降りかかった、あまりに惨い事件は――我々の間でも気がかりだった。
 眼だけを動かす。なんと返したものだろうか? すっかり回復しましたとでも? いったいなにがどこまで癒されたのかもわかっていないのに。
「運がよかったんです」
 ぽつ、と返す。眼をそらした。ソロモンの労りがなぜだか耐えられない。ソロモンの言葉には、悪意も、吐き気のするような好奇もないのに。
 早く、とセバスチャンが呼ぶ。セラはグリフィンにまたがった。軽く撫でてやりながら、こみあげてきたものを飲み下す。運がよかった? 確かにセラは助かった。助けられた。でも、どこかで思うのだ。あのとき死んでいたほうが、救いがあったのではないかと。父が狂い、祖父が罪を犯すこともなかったのだろうと……。
 グリフィンが翼を広げる。一、ニ、三歩で舞い上がる。別れを惜しむアンに手を振った。
 ふ、と景色がにじむ。眼下にたなびくのは黒煙。鼻を焦げ臭いにおいが席巻した。軽く眼をつぶって開けば、幻は終わっていた。
――火の用心を怠りなく
 アンに手紙を書く時に、そう追伸しておくべきだろうか。そっとため息をこぼす。
「先視って本当に」
 厄介だわ。
 ◆ 「守護者についてわかったぞ」
 フェルドクロフト訪問から数日後。ホグワーツ校庭。噴水近くのベンチに腰かけ、セラはヘクターが寄越してきた羊皮紙をちらと見た。
「さすが旧家は違うわね」
「ポッター家の女がそれを言うか?」
「僕に言わせたら、君たちの感覚がおかしいんだけど」
 イルヴァモーニーからはるばる渡ってきた魔法使いが言う。
「あなたのアスラン家もけっこう古いって言ってなかった?」
 ざっと数百年……らしい。戦に嫌気がさして英国から飛び出し、大陸を転々とし、北米に至ったのだとか。イルヴァモーニー創設前の話である。
「君たちには負けるよ」
 張り合うつもりもないけど。肩をすくめ、ギルはセラの膝――羊皮紙をみやる。
「で? なにがわかったわけヘクター」
「四人はホグワーツの教員だった。で、彼ら……彼女らの弟子がいたようだ。イシドーラ・モーガナーク。今のフェルドクロフト出身だったようだ」
 パンをかじりながら耳を傾ける。厨房からもらってきた焼きたてである。
「彼女らの中では年少で……今の僕らと十も離れてないような魔女で、教師」
 そして彼女は病死している。
「僕が見たときは元気そうだったけどな」
 憂いの篩で見かけたよ。ギルの言に考え込む。
「怪しいわね」
「親愛なるご先祖様によるとだ。イシドーラは一部の生徒を集めて夜な夜な研究会を開いていたとか。魔法を善なることにが口癖で」
「うさんくさいな」
 ギルがずばり言った。セラもうなずいた。おやつ代わりの小さいパンを、男二人にわけてあげる。
「詐欺師か……狂った『善人』か?」
 悪賢い者は口が巧く、相手の虚栄心をくすぐるものだ。そして粗悪な品を売りつける。傷が治る怪しげな壷やら、無限にガリオンが湧き出る箱やら、騙される者もいる。ついでに治療困難な病も癒せる謎の軟膏がどうこうとか。後者のほうがより厄介だ。善は暴走しやすい。
『だってあの子はかわいそうじゃない』
 哀れむことがよいことだと思っている、なにげない一言。悪意があって言い放たれるよりも堪えるものだ……。
「後者だと思う」
 守護者は口を割らないけど。ヘクターが口端をつり上げる。
「複数の生徒が、心を病んだとご先祖様が書いている。イシドーラの、いわゆる弟子で……親しくしていたようだ。そしてある夜、守護者四人が険しい顔でどこかに向かっていき――夜が明けたら」
 イシドーラの訃報が伝えられた。

「希望はこの闇の中にある……はず」
 きりりとした顔で言うセバスチャンに頭が痛くなってきた。なにかやらかそうとしているのを視て――もとい、一人でどこかに忍んで転がっているセバスチャンを視てしまい、泡を食って校庭からスリザリン寮近くまで駆けつけた。本人は未だ来たざる時も知らず「よお」とセラに片手を上げてみせた。
「どうしたのセバスチャン」
 対セバスチャンに哀れなオミニスを引きずってきたギルが問いかける。オミニスは「ふざけるな」「だから俺は」と絶望のうめきを漏らしていた。
「ここに秘密の書斎がある……ってオミニスが」
「俺が破ろうとしても無理だったが?」
 腕を組み、冷ややかにヘクターが言う。息をするように破壊行為にいそしむ男である。
「……待てお前、知ってたのかリアイス?」
 オミニスがきつい眼で――白濁しているが――ヘクターを見る。彼は鼻を鳴らした。
「秘密の部屋探しのついでに。本命はわからなかったが、ここはいかにも怪しい」
 といっても生き物の熱はないようだ。探知の呪文で何回も探ったがそれは確か。
 ヘクターは石壁を叩く。じろりとオミニスを見た。
「それともなんだ。お前のご先祖様の秘密の部屋、やっぱりあるのか?」
「俺も知らない。伝説が残っているくらいだから、ありえそうだけど。実家のろくでなしどもなら……が、やつらは部屋を解放していない」
 たとえ末裔でも、下手に手を出せないなにかがあるんだろう。
「そうだな。レディ・ゴーントも殺された」
 おそらくここに入って。こん、とまたヘクターが壁を叩く。オミニスが唸った。
「ノクチュア伯母さんのことを――?」
「ホグワーツで行方不明者が出れば、さすがに俺たちの耳に入る。それに、お前たちの家族を誰がアズカバン送りにしているかわかっているだろ? レディ・ゴーントはまともで良識があり、マグルにも親切だったらしいな?」
 ヘクターの群青はどこまでも淡々としている。ゴーント家の話は有名だった。マグルを弄ぶ連中だ、と。両親も兄も何度かアズカバンに送られ、数日あるいは数週間で解放されている。
――マグルに対する呪文は
 たいした罪にならないのだ。家畜と一緒だと言う者もいる。話す家畜だと。だからゴーント一家はのうのうと戻って来られる。
「俺としては永遠にアズカバンでもいいんだが」
「気が合うなゴーント」
「マグルに手を出せないように、もっとがっちり監視してくれていいぞ」
 殺伐としている。オミニスは生家を嫌っているし、できれば没落してくれないかと思っているようだった。対してヘクターは、ゴーント家は気に入らないがオミニスまでどうこうしようとは思っていないらしい。互いに仲良くすることはないし友人ではない関係だ。
「一人で入ったら駄目よ」
 セラはきつく言った。石壁をにらみつける。
「だって意地の悪いスリザリンの隠し部屋なんだから」

――本当に
「末裔すら殺す仕掛けって最悪じゃない」
 スリザリン。長い探索を終え、隠し部屋もとい書斎から出て、セラは膝を突いた。グリフィンドールの末裔を排除する仕掛けもあったのか、セラはあちこち火傷していた。オミニスが蛇語で入口を開け、入ろうとしたヘクターが吹き飛ばされた時点で察してはいたが。
「スリザリンだからな」
 外で待機していたヘクターが手をさしのべる。彼に掴まり、セラは立ち上がる。
「もう犠牲は出ない」
 包みを抱えオミニスが言う。強力な呪文――悪霊の火でスリザリンの書斎もとい研究室を消し炭にしたのである。親愛なる伯母の骨を見つけ、嫌になってしまったらしい。スリザリンも、その研究も。悪辣きわまりない仕掛けも。書斎にあったスリザリンの呪文集だけはセバスチャンが死守した。
「お前がやらなかったら俺がやってた」
 入れたらな。ヘクターが吐き捨てる。見れば見るほど傷だらけだ。セラはオレガノのエキスをかけ、癒しの呪文を唱える。す、と杖が向けられる。
「自分の治療をしたらいいだろ……癒えよ」
 痛みが引いていった。ローブも髪も焦げている。衣は捨てて、髪は短くしてしまったほうがいいだろうか。切断呪文でさっさと髪を切れば、ヘクターが顔をしかめた。
「似合ってない?」
「思い切りがよすぎるだろう」
 背の半ばまであったのを、ポピーより少し短いくらい――肩まで切っただけなのだけど。頭が軽くて楽だ。落ちた髪を燃やして処理しているうちに、オミニスの説教が聞こえてきた。
「いいかあのスリザリンの書だぞ。闇の魔術がかかっていないのは確認したが……治療法があるとは限らないんだ」
「いや、スリザリンは優れた癒し手だったらしいじゃないか!」
 呪文集になにかあるさ。セバスチャンは強気である。どうせ言っても聞かないのだから、ある程度好きにさせるしかないのだ。
 頑張れオミニスと手を振って、踵を返した。
 もし誰かを生け贄にするような治療法があったとしたら、セバスチャンを止めないといけないなと思いながら。

 時折、彼を見ているとちらつく幻がある。
 暗いどこか。亡骸の山。悲鳴。緑の閃光。
「あなたのせいよセバスチャン!」
 木霊する、アンの嘆き。
 あるかもしれない未来の幻。

【act14-4068字】
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