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 冷たくて熱い感触が容赦なく突き立てられ、引き抜かれ、また突き立てられる。悲鳴を上げる暇もなく、また声を上げるなんて考えもしない。
――これだから
 膝を突く。これだから。なんだろう……いかれたやつは。いきなり刃物を持ち出すやつがあるか。
 かなり深いのだけはわかる。肋骨をくぐりぬけ、内蔵を傷つけているだろう。幸いかな、心臓のあたりでなく下腹を狙って……いやこれは幸いなのか。無駄に痛いだけで……。
 せめて、刺したままでいてくれればいいものを。血が流れる。何分の一の血を失えば死ぬのだったか。
「お前なんて」
 生かされているようなもんだ。冷たい声。蹴られる。なすすべもなく転がる。なにかをしようという気力も失せている。
――シリウス・ブラックの子だから
 ウィスタを憎み、刃を振るう。呪文で切り裂くなんて生ぬるい。もっと残酷に、派手に、知らしめたいと。
 相手は何人? 二、三……。グリフィンドール。わざわざ狙ってくるなんてご苦労なことだ。
 声が出ない。熱いなにかに浸食される。何度も蹴られ、手を踏まれ、石段を転がり落ちる。地下……厨房が近い。
――こいつら
 頭が悪いんじゃないのか。すっかり血に酔っている。見つかってもいいということか。
「どうせ……のゆるい女が――を開いて……」
 いや開かされてか? リーン・リアイスもバカな女だよ。せせら笑う声。これほど邪悪ななにかを聞いたことがない。
 眼が熱くなる。
――こいつら
 なんていいやがった?
 意識が冴える。立ち上がろうとする。
「うっそだろおい」
 まだ動けるか。紅が襲いかかる。肌が焼ける――腕輪の癒しが、ローブの守護が、ウィスタに力を与える。
 ぼた、と血が垂れる。ぼた、ぼた……。
 こいつらだけは。
 母をおとしめるこいつらだけは。必ず始末してやる。
 冷気が『冬の息吹』から流れ込む。ああ、こいつも怒っているのだ。
 黄金のグリフィンは。
 侮辱には相応の報いを下す。
 指を鳴らす。左手をかざす。白い顎が、眼を見開いたままの愚か者を呑み込む。悲鳴の形に凍り付いた唇。はためいたまま止まったローブ。完成した白い彫像三つの彫像。
 指を鳴らせば腕が落ちる。首を落とすのは最後にしようか。次はどこを落とそうか。再び指を鳴らそうとして。
「駄目だ!」
 誰かが猛然と飛びついてきた。
「十分だ。だから」
 やめるんだ。震える声に瞬く。
「セド……?」
 力が強い。羽交い締めにされ、身動きもできない。ああ、誰かがすすり泣いている。坊ちゃま坊ちゃま。しっかり……と。妖精たちの、小さな影が……。
「だって、あいつら」
 俺の母親を、舌がもつれる。視界がかすむ。ああ、始末しなけりゃいけないのに。
 世界が光を失っていって、やがて真っ暗になった。
 ◆
「グリフィンドールの愚か者は報いを受けたから安心なさい」
 威厳のある声に言われ、ウィスタは頷いた。上等な寝台の上に身を起こし、ぼうっと『その人』を見る。引っ詰めた髪。若い頃はとびきりの美貌だったのだろうなあと思う、上品な顔。淡い色の眼。品格という衣を着た魔女。
「……始末し損ねたと」
「ウィスタ」
「あいつら、俺の母親を売女みたいに言いやがった」
「――隻腕にしてやったのだから我慢なさい」
 ホグワーツ副校長、変身術教授、グリフィンドール寮監はぴしりと言った。が、両の眼がぎらぎらと光っていて、襲撃犯どもの発言を許していないのは明らかだ。
「で、なんで俺は先生のお部屋にいるんですか」
 安全のためです。言って、マクゴナガルはウィスタを寝かしつけた。
「私の守りを破ってまで、あなたに危害を加えようとするものはいないでしょう」
 各種の守りと呪いで固めましたからね。先生が言うのだからそうなのだろう。先生は凄腕である。寮監のスネイプのところに放り込まれるくらいなら、マクゴナガルのほうがいい。
「あの者たちは退学させ、ある程度治療が終わればアズカバン行きです」
 死の呪文を使ってやればよかったなあ、と今更ながらに思う。やはり冷静ではなかったのだ。正当防衛でどうにかなったろうに。なにせウィスタは火傷切り傷打撲滅多刺しで死にかけたのだ。しかも複数の毒を塗ったナイフで滅多刺しなのだから、相手の殺意のほどが知れる。
「死の呪文はなりません。いえ、そもそもなぜ知っているのです」
 考えが口から漏れていたらしい。心配をいっぱいに浮かべているマクゴナガルに返した。
「リアイスなんで。半分だけですし、望まれてなかったらしいですが」
 投げやりに答える。たぶん無理矢理どうこうされたか騙された母親が哀れだった。どっかの時点で気づいて、堕ろしてくれればよかったのに。
――なんで産んだのか
 守ったのか。ヴォルデモートと対峙したとき、ひょっとしたら母だけでも逃げられたのではないか。夫の裏切りを知ったのだから。ウィスタを見捨てればよかったのだ。
「リーンは、あなたのことを大切に思っていました」
 ぽつりとこぼされたつぶやきに、顔をしかめる。椅子に腰かけた女史の、憂いの深い顔を見た。そういえば、ファッジがブラックについてどうこう言っていた時は肯定も否定もせず、ハグリッドがブラックをけなせばさりげなく止めていた……。
「ろくでもない男との間の子でも?」
 ぴしりと返せば、マクゴナガルの眼が潤んだ。いつだってしゃんとした女史のこんな顔……どうすればいいかわからない。ウィスタが悪いみたいじゃないか。
「裏切りの真実はわかりません。でも……あなたは、望まれて、祝福されて生まれてきたのです」
「嘘を、」
「リーンは望まなければ産まなかった。辛い子供時代を過ごしてきたのですから……ブラックとてそうでしょう。あの二人は、家族の……あたたかい家族の形を知りませんでしたから。でも、」
 あなたを抱いて訪ねてきたとき。
 二人は本当に幸せそうだったのですよ。
 どうかそれだけは信じてください、ウィスタ。

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