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「グレンジャーじゃあるまいし」
 図書館に籠もって勉強か?
 本を取り上げられ、ウィスタは眉間に皺を寄せた。招かれざる客はマルフォイだった。
「学年首位を目指してるからな」
「……動物もどきの登録簿まで見て?」
「きっとハーマイオニーも見てると思うぞ」
 適当なことを言う。寮が違うのだ。ハーマイオニーが普段どういう勉強をしているか知らない。話す機会もない。特に、ハーマイオニーは今年から走り回っている姿しか見ていない気がする。授業を詰め込んでいるようだ。全科目を受けるなんて無理だろうに……それこそ夜間の特別授業でもしないと不可能なのだが、ハーマイオニーはこなしているようだ。
「お前があんな女に負けるはずがない」
「わかんないよ?」
 肩をすくめる。いつの間にやら向かいに座ったマルフォイから、本を取り返した。『動物もどき登録簿』。省に登録している、合法の動物もどきを記した本だ。勉強のためなんて嘘っぱちで、暇つぶしだ。
「吸魂鬼が怖いのか知らないが、学校の敷地内には出てこないだろう」
 軽くマルフォイを睨む。吸魂鬼に襲われた影響で、引きこもっていると思われるとは。十一月の試合からこっち、ウィスタはあまりふらふらしなくなったとはいえ。
「そんなんじゃない」
「じゃあなんだよ」
 もうじき授業は終わる。クリスマス間近の今、浮かれもせずにいる理由は。
「……俺はブラックに狙われているらしいから。一箇所にいたほうがいいだろ」
 囮である。皆まで言わなくてもマルフォイは察した。
「あいつはどうせポッターを狙うさ。お前のことは……」
 つ、とマルフォイが眼を逸らす。ウィスタは確信した。
――マルフォイは
 ウィスタがブラックの息子だと知っている。教えたのはルシウスか。お仲間の息子だからウィスタによくしたのだろうか。
 思ったより知られているのは確かだ。図書館でハーマイオニーの影をみて追いかけたら、一生懸命なにかを隠していた。梯子に上って探ってみれば昔のアルバムで、そこには父がいた。
「お前、城に残るかどうするか、まだ決めないのか」
 ひょっこりやってきて何事かと思えば、本題はこれだったらしい。マルフォイは唇を尖らせている。
「僕は帰るつもりだが……お前が残るんなら」
「ほとんどが帰省するだろ。俺は残るよ」
 人が少なくてせいせいする。返せば、マルフォイは頭の痛そうな顔をした。
「根暗レイブンクローかお前は」
「陽気なグリフィンドールじゃないのは確かだな」
「……気が変わったら言え。客室なんて余ってるし、母上がお前を気にしてる」
 マルフォイが去り、ウィスタは机に突っ伏した。どうしたもんか。ブラックをとっ捕まえてあれこれ吐かせたいのだが。俺はお前が母を手篭めにして生ませたのか、とか。母を騙していたのか、とか。死喰い人である隠れ蓑にするために結婚したのかとか。
 まさかリーマスを問いつめるわけにもいかない。だってリーマスは、ウィスタが知ってしまったことを知らない。夢にも思ってないはず。今更訊いたところでなんになるだろうか。
 誰にも打ち明けられないし相談できない。気軽に口に出せる話でもない。
 唇を引き結ぶ。
 どこぞの腐れバンドマンかホストが父親のほうがマシではないか。
 ◆
 具体的な行動がなにもとれないまま、授業最終日――ホグズミード行きの日を迎えた。ウィスタはローブのフードをかぶり、村を歩いていた。城では視線が突き刺さって落ち着かないのだ。まるで監視されているようなのだが、特定には至らない。ブラックの息子だというのが、いくらか漏れているのだろう。快く思わない連中もいるだろう。
――クインは
 レイブンクローの女生徒の姿を思い浮かべる。ちょくちょく図書館で会うのだ。あなた、ブラックに狙われているらしいし、誰かと一緒にいたら? と言ってきた。たぶん、ウィスタがブラックの息子と知っているのだろう。まったく態度は変わっていないが。凶悪犯の息子なんて避けるもんじゃないのか。避けたほうが無難だろう。そう思いつつ、今日のホグズミード行きに誘おうかなんて思ってしまったのだけど。ちらりと思い、やめたのだ。迷惑になるから。
 そもそも彼女はチョウと行くだろうよ。ウィスタが誘って来るか? 寮も別で、学年も別で、たまに話すくらいなのに。
 胃に鉄の塊がうずくまっているような気分だ。雪を蹴りながら『三本の箒』を目指す。金髪に灰色の眼のレイブンクロー生に変装している。誰もウィスタがいるとは思わないだろうし、変に絡まれることもないだろう。
 マダム・ロスメルタはウィスタに気づかなかった。バタービールを手に、端の席に腰掛ける。ぼんやりしながらバタービールに口をつけた。温まったら店を出よう。文具も買ったし、犬用のブラシも買った。必要なものはそろえたのだから、村に用はない。あちこちに貼られた手配書もうっとうしいし。
 ジョッキが半分になった時、小鐘が鳴った。ちらと見ればロンとハーマイオニーだ。デートかと思ったのだが、彼らが頼んだのはバタービールが三つ。
 よりにもよって、ウィスタの隣の――ツリーのすぐそばの、人目につかない席へ着いた。
――さっさと出よう
 ウィスタの変装は見破られていない。が、落ち着かない。おまけに「はい、ハリー」等々聞こえてきて、透明になったかなにかしているハリーもいるときた。
 できる限りバタービールを干していったが、一気飲みできる類のものではない。控えめな甘さのそれに、猛烈な気持ち悪さを催した。生理的な涙が浮かぶ。
 我慢して飲みきった。さあ出るぞと思ったとき、またもや小鐘が鳴った。入ってきたのは教師陣。そうか、授業最終日だものな……教師も飲みたいよな……と思っていれば、時の人シリウス・ブラックの話題が出てきたから、席を立てなくなった――この時点で、店を出ればよかったのに。
「ですからね」
 ブラックは鬼畜ですよ。ええ、死喰い人のなかでも人でなし。
「親友夫妻を売り、己の妻と子を売ったのですから」
 かわいそうに。
 リーンは、希代の闇祓いは。
 騙され命を落としたのだ。愛していた男の裏切りによって。


 はあ、と息が煙る。走って走って、城まで戻った。身体が熱く、心は冷えている。
 忠誠の術。裏切り。殺されたポッター夫妻。裏切られたリーン・リアイス。ひどく混乱していた。ただの大量殺人鬼ならよかったのに。よりにもよって、同級生の親を裏切って死に追いやったと? 単に女を騙し結婚し、子を生ませただけではなく、売り飛ばしたと? 最悪なんて言葉じゃ生ぬるいじゃないか。
 スナッフルズに会いに行こう。ブラシをかけてやって、枕にして寝るのだ。そうしたら落ち着くし、何事もなかったかのように振る舞える。
 大丈夫だ。大丈夫。ハリーとは寮が違う。顔もあまり合わせないのだから。知らない振りができるはず。
 そうだ、ひとまず厨房に寄って、なにか口にしよう。バタービールだけじゃ腹が……。
 地下への階段に足を向ける。階下から、誰かがやってくる。グリフィンドールカラーのネクタイ。
「よお」
 探してたんだ。ホグズミードに行ってなかったんだな。
 気さくに声をかけてくる。誰だっけこのひと。フレッドとジョージの友達だろうか?
 首を傾げる。上級生が距離を詰めてくる。なんだか嫌な予感がして、下がろうとする。あと二歩の間合しかない。手が伸びる。腕を掴まれ引き寄せられる。
「会えてよかった」
 抱き寄せられるような格好。吐息が耳にかかり。
 腹に、熱いなにかが埋め込まれた。
「なあ」
 シリウス・ブラックの息子?

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